森林セラピー山口【山口県山口市徳地】 東大寺再建のふるさと〜杣(そま)入りの地 徳地〜

重源上人の杣入り

重源上人像

重源上人像

平重衡の兵火により焼失した奈良東大寺の再建のため、俊乗房重源上人は、61歳という高齢で『大勧進職』に任名され、東大寺再建の指揮にあたりました。
重源上人は、人々の協力のもと、この徳地地域一帯から東大寺再建のための用材を伐り出しました。伐採した木材は、陸路を人力で川岸まで運び、川の流れを利用して運びました。杣山の道づくり・橋架け、伐採や運搬は困難を極め、人夫の負傷の治療や疲労の保養など、その苦労は大変なものでした。

岸見の石風呂

岸見の石風呂

重源上人は、佐波川の流域各地に、寺院や石風呂を建立し、民を安んじたといわれています。徳地地域には、今なお地名や伝承、まつりの中に、重源上人の遺徳をしのぶ逸話が伝わっています。
東大寺は1203年に総供養が営まれ、再建事業はほぼ終わりました。その後再び、戦乱の兵火により失われましたが、東大寺南大門は、鎌倉期の再建のまま現存しています。運慶らが作り上げた金剛力士像も、徳地の森から運ばれた材によるものです。

滑山国有林と滑マツ

滑峡

滑峡

東大寺復興のため良材を伐採したその後、毛利藩の御立山とされました。明治期に国有林となり、天然林から本格的に伐採が始まりました。跡地へはスギ、ヒノキが植栽され、立地条件に恵まれ優良人工林が出来上がりました。
滑マツは、昭和30年代から、40年代にかけて、天然林の伐採にともなって減少したため、滑マツの林分は、そのほとんどが林木遺伝資源保存林等に指定されています。
しかし、その保全育成は緊急の課題となっています。現在、残存する滑マツを母樹として天然更新による育成試験に取組んでいます。
昭和40年には、皇居新宮殿「松の間」の内装材として、昭和42年から43年にかけて、日本の名勝錦帯橋の橋脚材として、滑マツが使用されています。

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